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みなとや幽霊子育飴本舗

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  • みなとや幽霊子育飴本舗

京都・東山松原に、『幽霊子育飴』と書かれた看板があります。
なんでも、女の幽霊が飴を求めにここにやって来たのだとか。
今回は、幽霊の子育て伝説がある「みなとや幽霊子育飴本舗」についてご紹介します。

看板

みなとや幽霊子育飴本舗
第20代目店主 段塚きみ子様

みなとや幽霊子育飴本舗 第20代目店主 段塚きみ子様■いつからお店を始められているのでしょうか。
うちは450年から500年続く、京都で2番目に古いお店といわれています。
もともとはお米や麦などの穀物を売っていました。本業の合間に麦を使った飴をつくっていたのですが、いつしか販売もするようになりました。


お店の外観 店内の様子1 店内の様子2

幽霊子育飴のパッケージ■こちらには女の幽霊が飴を買いに来たという伝説が残されているそうですね。どんな内容か教えてください。
今から412年前の慶長4(1599)年に、鳥辺山(とりべやま:平安時代以前から京の埋葬地となっていた場所)から夜な夜な飴を買いに来る女性が現れました。この女性は、毎回1文ずつ手にして飴を買いに来ていたそうです。ある朝、銭函の中を見てみると、しきみの葉(お墓にお供えする花)が入っていました。不思議に思った店主は、その夜、買いに来た女性の後をつけていったんです。すると、鳥辺山にある墓地の前ですーっと姿を消し、お墓の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたそうです。翌日、お寺の住職と一緒にお墓を掘ってみると、中から飴をくわえた赤ん坊が出てきました。
その幽霊は赤ん坊をみごもっている時に亡くなり、土葬された女性だったのです。しかし、亡くなったあともお腹の中では子どもがすくすくと成長し、お墓の中で赤ん坊が誕生しました。母親は自分が母乳を与えることができないため、幽霊となってうちに飴を買いに来たといわれています。
このことから、いつしか『幽霊子育飴』と名前が付けられました。


■子に対する母親の深い愛が分かるお話ですね。その後、赤ん坊はどうなったのですか。
赤ん坊はお墓の中から出され、8歳になるまでうちで預かっていたようです。
8歳で仁和寺近くにある立本寺に引き取られた後、お坊さんになり、立派に68年の生涯を終えたそうです。
うちには創業当時からの銭函があり(現在は使用されていません)、この中にしきみの葉が入っていたことから幽霊が飴を買いに来たことが分かりました。京都では、お墓にしきみの葉をお供えしてご先祖様の魂を供養するんですよ。この銭函が残っていることで、幽霊伝説を後世に伝えることができると言っても過言ではないですね。


■それでは、『幽霊子育飴』について詳しく教えてください。
幽霊が買いに来た当時は、水あめのような形でお箸に飴を巻いて売っていました。いつしか、固形の飴として販売するようになりました。材料はいたってシンプルで、麦芽糖とザラメ糖のみを使用。麦芽糖とザラメ糖を溶かし、容器に流しこみ固めます。飴が固まったら専用のとんかちで飴を砕いたらでき上がり。艶やかな琥珀色をしています。味も製法も昔と変わらないので、赤ん坊が食べた時と同じ、懐かしい味わいが特徴です。

幽霊子育飴

■どんな方がこの飴を購入に来られますか。
地元の方はもとより、この伝説を聞いて遠方より買いに来られる方もいらっしゃいます。一度買って、「また食べたい」と思っていらっしゃるんです。幽霊の女性が赤ん坊を育てるためにうちの飴を買ったという伝説から、妊娠中の方や、授乳中の方、また子どものおやつに購入される方も多いんですよ。
実は、漫画家の水木しげる先生もこの飴を買ってくださるんです。なんでもこの飴の話が「ゲゲゲの鬼太郎」が誕生するきっかけとなったそうなんです。

「幽霊子育飴」が掲載された雑誌 「轆轤町」と書かれた地名看板 「六道の辻」と書かれた石標

お店のある「轆轤(ろくろ)町」には、昔、がいこつがたくさん転がりあの世とこの世の分かれ目といわれた「六道の辻」があります。
母親の子への深い愛情がつまった伝説が伝わる『幽霊子育飴』を食べてみませんか。


アクセス

市バス「五条坂」下車 徒歩約9分
京阪電車「清水五条」駅下車 徒歩約10分

所在地

京都市東山区松原通大和大路東入ル二丁目轆轤町

営業時間

10:00~16:00

定休日

月曜日

お問い合せ

075-561-0321

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